昔から、人目のあるところで自分を出すのがニガテでした。
撮りたいときに撮る
先週の休日では、お昼にお散歩していました。もちろんカメラを持っています。
歩いていると、バス停のベンチに目が止まりました。上から木漏れ日の光が注いでいて、地面に映ったシルエットが美しかったのです。
誰も座っていなかったので、撮れないはずはないのですが...。周りに何人かいたため、人目を気にして撮れませんでした。素通りです。
しかしながら、10メートルほど歩いたのち、やっぱり撮りたいと思って再び戻ってきました。
さぁ、ここで撮影して満足すればハッピーだったのですけれども。戻ったときにはもう撮る気は失せていて、けっきょく一度もシャッターを押さずにその場をあとにしました。
コンテストに出す写真を撮っているとか、被写体のテーマが決まっているわけでもないのです。ただひたすら、撮りたいものを撮って楽しむだけ。そのためには、「撮りたい!」と思ったときにシャッターを押さないとダメですね。
その後もカメラ片手に散歩したのですが、この日は撮りたい気持ちが下降気味で。なんというか「撮ろうとして頑張ってる感」が否めない1日でした。唯一よく撮影したのは、下のバラ(?)だけです。しかもスマホっていう。
帰宅したあとは大きな疲労感に包まれ、何もする気が起こりませんでした。
人の存在の、すぐ近く
人がいるところでは撮るのが恥ずかしくなるなんて、なんだか笑えます。これでも「趣味はカメラです」と言ってしまうのですが。
昔から人目を気にするタイプです。ヘンかもしれませんが、だからこそカメラが趣味になっています。
「人目を気にする」というのはどういうことなのでしょう。
具体的に考えてみると、「自分を素直に出せない(表現できない)こと」だと思います。病的なレベルではない場合は、同じような人はこうした理由がほとんどなのではないでしょうか。
カメラを持っていれば、いつもは感情を表に出せない場所で、思う存分楽しむことができるのです。人のいる場所でも自分の感情を出せるということ。それは、心惹かれる瞬間や存在に、思うがまま没頭できるということでもあります。そして、それらはたいてい人の営みの中で発見されます。
たとえば、親子が遊んでいる光景。道端でひっそり咲いているタンポポや、早足で歩くサラリーマンの上空を、優雅に飛び去っていく鳥たち。これらはほとんどは、家の外にしかありません。
人の存在を感じられる場所の、すぐとなりの風景がとても好きです。
さいごに
外の世界はまさしく人のいる場所です。人混みもまたニガテなので、そこで負けてしまうことが多々あります。先週の土曜日がまさにそうでした。
ムリをすると、確実に反動をうけます。土曜日は、散歩から帰ってきたのが17時ごろで、気分が戻ってきたのが21時です。それまではずっと、抜け殻のようにボーっとしてました。
思うようにいきませんね。自分の好きな場所が、苦手とするものに囲まれているだなんて。
それでも、せっかく出会えた趣味です。自分なりの楽しみ方で、今後も続けていこうと思っています。
・Camera:iPhonⅩ/X-Pro2
・Lens:Super-Takumar 55mmF1.8